モディリアニの映画を観る

今日は「モディリアニ・真実の愛」をDVD鑑賞。

エコールド・パリの巨匠達の中で最も悲惨な人生を送った人である。
36歳という若さでの死、そして身重の妻の後追い自殺、そんな
人生を始めて知ったのは中学生の頃に買ってもらい今も手元にある
「ファブリ研秀 世界美術全集」での記述であるが、その本には
こう書いてある。

「芸術家としてひたむきに生きようとした若い魂の純粋さと、
その純粋さのゆえに深く傷つかなければならなかった人間存在の
痛ましさを、強く感じさせるものはない。
この画家の仕事の展開を見てゆくと、ただ自己の信ずるところを
懸命に追い求め、まるで一気に階段を駆け上がるように登り詰めた
果てに、生命を燃焼尽くしたという印象を受ける」

「友人の彫刻家リプシッツが、『彼はあれほど若く死んだけれども
自分の望んだ事は全て成し遂げた』というのはこの事だろうか
しかし、それは決して簡単に得られたものではなく、彼自身の
その人生と肉体を代償としなければならなかったのである」

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さて、モディリアニの絵画の特徴は、そのディフォルメされた様式に
あるけれど、それは過去ボッティチェルリやアングルも試みているので
全く新しいという訳でもない。しかし実は彼の創作活動は「彫刻」から入って
おり(体が弱い為に彫刻家の激務に耐えられないと判断して絵画に
シフトしたといわれている)、しかもロダン等の「肉付け」彫刻ではなく
石を「彫りこむ」形を選んでいる。

想像すれば分かるが、彫りこむということはほとんどの場合失敗が許されない。

彼の作品の特徴の原点がここにあるのではないかと思う。
又、アフリカなどの民族芸術からも着想を得たという説もあり、その辺りから
思いを巡らせるのも鑑賞の一助となると思う。

彼はユダヤの裕福な家庭に育っているが(その後事業の失敗で
破産してしまうが)厳格であったであろう子供の頃の育ち、
いわゆる「おぼっちゃん」がパリの海千山千の芸術家達の坩堝に入り込み、
その結果わずか一年余りで立派なアルコール(アブサン)・麻薬中毒となってしまった。

その背景にあるもの、
そして彼の内面の葛藤、そんな事に思いを馳せるにつけ、
人生の厳しさの中にあり創造を続けるという限界ぎりぎりの道のりを
私は感動と畏怖に近い気持ちを抱かずにいられない。

映画ではそういった創造という作業を興味深く描いていて、
嬉しかった。特にコンペ出品の為に、モディリアニ、ピカソ、
ユトリロ、キスリング、ディエゴ・リベラ(かのフリーダ・カーロの
夫である!)、スーティンの6人が絵筆を激しく動かす場面は
圧巻である!

そういえば、その後ユトリロは裕福な未亡人と結婚し不自由の無い
暮らしを送り、スーティンも画商に見出され著名になり・・・。

この辺りが何とも皮肉めいており、彼らはモディリアニの生き急いだ
人生を間近で見、何かを感じ生き方を変えたのかもしれないし
生きていく、というエネルギーが有り得た(それがたまたま偶然に
残っていたからにせよ)事によりチャンスを手に出来たという事で
あったのかもしれない。

モディリアニの人生が語り継がれ人の胸を打つのは、
「芸術」と「商業」が最も関係しない場で生きた最後の芸術家で
あったという事にあるのではないだろうか。
少なくとも私はそう思わずにいられなかった。